■皆様からのお言葉


映画『地球はお祭り騒ぎ』をご鑑賞くださいました皆様から沢山のご感想やご批評、メッセージが発信されています。この場所でまとめさせていただきますので、ぜひご覧ください。

 

映画の内容に触れたものもありますので、

映画を未見の方はご了承の上、お読みください。


地球はお祭り騒ぎ

 

北関東郊外の小さな町

電子機器製造の小さな会社で働く本田(今村樂)は、誰とも関係を築かず愛犬のリンゴと静かな日々を過ごしていた。

そんなある日、同僚のビートルズマニア 平山(渡辺紘文)と共にポール・マッカートニーの来日コンサートを観るべく東京へと向かうのだが…。

情報過多で暗雲立ち込める世の中を通し、真に価値あるモノとは何なのかを問う作品だ。

 

前作「プールサイドマン」とは余りに異なるオープニングに意表を突かれた

そして、前作「プールサイドマン」を彷彿とさせるフォーマットであることにもまた意表を突かれた

そしてそして、前作「プールサイドマン」とは真逆に位置する想いを内包した作品であることにもまたまた意表を突かれた。

 

子どもが描いたであろうたくさんの絵が貼られた一軒家で犬と暮らす本田

彼に何が起きたのかは分からない

人と関わることなくルーティーンに徹し、言葉による対話を用いずに済む犬や花としか接しない日々

仕事の休憩時間にはグローブとボールを持って壁打ちをし、一服しながら横になる

聞こえてくる自然音は、彼の心の内を描いているかのようであった

小学校から聞こえてくる子ども達の声は、取り戻すことのできない時間を

吹き荒ぶ風の音は、凍えてしまいそうな孤独を

揺れる木々のざわめきは、取り戻せぬ過去と足を踏み入れたくない孤独との狭間で身動きできずにいる彼の現状を感じさせる

言葉は発さずとも、彼の抱える葛藤がヒシヒシと伝わってきた

 

繰り返しの日常からは中々抜け出せない

働かなきゃ生きていけないし、非現実のステキな出来事なんてそう滅多に起こらない

陰口・悪口・不平不満でも吐かなきゃやってらんないし、それを聞かされる側になるのも堪ったもんじゃない

人生楽しいことより辛いことの方が圧倒的に多い

そんなツマラナイ日々なんてゴメンだから、誰もが何かを求めて生きている

たとえそれが嘘偽りであったとしても、心を満たすことさえできればそれでいい

胸に生じた穴を埋めるための代償行動や代用品で騙し騙し生きている。

 

冒頭、ある絵本のエピソードが語られる

それは月に魅入られた者達が月と遜色ない模造品をいくつも作り出し、どれが本物の月か分からなくなるというもの

世の中にはニセモノが多過ぎる

ピンキリではあるが、本物に限りなく近しいニセモノが溢れているのも事実

そんな紛い物であっても、心を満たすのには十分だったりするのも事実

では、真に価値あるモノとは一体何だろう

 

劇中で扱われるポール・マッカートニー

彼の存在や生み出すメロディに価値あることは揺らぐことのない真実であるが、そこに付き纏う情報や人の想いに価値があるかと問われれば疑問を抱く

ポール・マッカートニー本人から離れれば離れる程に純粋さは欠けていく

東京へと訪れる本田と平山 映し出される街並み

渋谷の街を彷徨う雑踏に価値など感じられない

容姿の美しさや金を多く持つ者に価値が宿るのか

路上で死んだように生きるホームレスは無価値なのか

月 本田 ポール・マッカートニーに触れたことで、観客は問われることになると思う。

 

価値とは何なのか

自分自身に価値などあるのか

考えたところで答えなど得られない

 

だけど、この作品は最後に教えてくれる

希望を 可能性の片鱗を感じさせてくれる

ただ生きているだけで ありのままでいられるだけで価値はあるのだと

その境地に達するのはとても難しいことではあるけれど、そう信じられたのなら無価値に思える自分にだって失望せずに済む

今がどんなにクソな状況であったとしても、生きているのなら絶望には程遠い。

 

あらゆる物事に無干渉を決め込んでいた本田も突き動かされる

頑なに閉ざしていた扉が開き始める

それは彼にとって真に価値あるモノに出逢えた証拠

そこから全てが変わるわけではないが、最後の彼の表情を見る限りキッカケは掴めたはず

前作「プールサイドマン」において多くの人混みの中へ向かっていった水原と、今作において多くの人混みの中へ向かっていった本田

構図としては同じであるが、その心模様は全くの別物であった。

 

真に価値あることが人の心を問答無用で突き動かすのと同様、この作品にも多くの人を突き動かすだけの価値が宿っていました

東京国際映画祭にて10/31の上映日がまだ残っています

ぜひ劇場でご覧ください!


東京国際映画祭にて待望の『地球はお祭り騒ぎ』観賞。

栃木県大田原市を拠点に活動する映画製作団体大田原愚豚舎の渡辺兄弟の最新作は期待を裏切らない快作だった!!

 

『地球はお祭り騒ぎ』は北関東郊外の小さな町で愛犬のリンゴと静かな生活を送る町工場の従業員・本田光が同僚のビートルズマニアの平山と共に東京ドームで開催されるポール・マッカートニーのコンサートへ向かうというロードムービー風の人間ドラマ。主人公・本田の生活と本田と平山が東京ドームへ向かう道中が描かれる本作だが、前作『プールサイドマン』に続き、一言も言葉を喋らない主人公本田を相手に喋りまくる平山を演じた監督の渡辺紘文のビートルズトーク?がとにかく面白い!!

この唯一無二の馬鹿馬鹿しくて面白すぎるマシンガントークは一体どこから生まれてくるのだろう。渡辺監督の頭の構造を覗いてみたくなった。

 

映画館は満席。

 

映画上映中、随所でくすくす笑いから、失笑、爆笑があがっていた。こんな日本映画は滅多にない。

多くのユーモアが散りばめられる中、特に本田の同僚・平山がオノ・ヨーコの展覧会に行ったというエピソードは必聴。

他の人も書いているがここで語られているオノ・ヨーコが監督したという映画が気になって仕方がない。

そして『プールサイドマン』をみている人は絶対ニヤッとさせられるあのネタも含まれていてサービス要素も満載。実に巧い。

コメディ映画として出色の出来の『地球はお祭り騒ぎ』だが、今回は人間ドラマとしてもじわっと感動させられた。

日常生活の中に狂気が生まれるということを描いた映画が『プールサイドマン』だとしたら、日常生活の中に人として生きることの大切なものがあるということを描いた映画が『地球はお祭り騒ぎ』といえるだろう。

気持ちよく笑い。気持ちよく涙した。

映画館には外国人の姿も多くあったが、国際的な評価も高くなりつつある大田原愚豚舎の渡辺兄弟が今の日本映画界において重要な存在になりつつあるのは間違いない。

ハイスピードで映画を製作しながら進化し続ける大田原愚豚舎と渡辺兄弟の今後の活動も気になるところだが、まずは『地球はお祭り騒ぎ』の一日も早い公開を望む。


第30回東京国際映画祭にて鑑賞。

ワールドプレミア。

 

〜ハレとケ〜

前作『プールサイドマン』に続き、ある意味 「ハレ」と「ケ」の映画だと思った。

反復される(ほぼ)同一の日常と、そして訪れる大イベント。

同じような日常の中の、少しばかりの差異とその積み重なり。

そんな今に繋がる、陰に潜んだ過去の傷。

非日常と接する、あるいは自身が非日常となることで、我々はその均衡を保つ(あるいは不条理を破壊する)。

そうやってまた、世界の、社会の一部として「人間」生活を続けて行く。

人間社会の「闇」に触れた『プールサイドマン』に対し、人間社会を明るく捉えた『地球はお祭り騒ぎ』。

表裏一体、鏡のような作品で興味深かった。

 

〜コミックリリーフ〜

前作同様、自身も出演を果たす渡辺監督。

蘊蓄を交えたマシンガントークが痛快。

素晴らしい作品内の緩和材かつコミックリリーフとなり、面白すぎる。

ずっと喋りを聞いていたいほど。

オノ・ヨーコが監督した映画とその内容を初めて知った!笑

超観たい…


第30回東京国際映画祭にて鑑賞。日本映画スプラッシュ部門の作品。

9月に新宿武蔵野館で『七日』と『プールサイドマン』が連続公開されたことが記憶に新しい、渡辺紘文監督の最新作。今回もモノクロ。そして、今回も日常繰り返し描写あり。(他の監督がやったら「退屈」としか映らない、日常を繰り返す描写でも渡辺監督がやれば「待ってました!」となるのだから、我ながら調子の良い人間だと思う。)

『プールサイドマン』の感想で、「多くの人は今作の主人公のように一線を越えないと思う。それは今作では描かれない友人や家族の存在だったり、日常的な変化や些細な楽しみ、夢だったり希望だったり、そういったプラスのエネルギーが、多かれ少なかれ存在するからに他ならないと思う。」って書いたのだけど、今作はまさにその「日常の中にある楽しみ」を拠り所に退屈な日々を生きる男の話。作品の位置付けとしては、QAでも触れられていた通り、まさに『プールサイドマン』と表裏の関係。そして、『プールサイドマン』も今作も、『七日』の延長線上に存在する作品だと感じた。

直接的な繋がりは無いけれど、上記の通り作品間にテーマの繋がりは多分に存在していて、『七日』→『プールサイドマン』の次に今作が撮られたことには大いに納得。

『七日』→『プールサイドマン』→そして『地球はお祭り騒ぎ』と並ぶことで、各作品のテーマ的な繋がりであったり、裏表の関係を通じて内容をより理解出来たところもあり、渡辺紘文監督はここ3作品で、新しい作品を撮る度に過去作品の深化にも成功していると思う。撮る作品が全編モノクロ・主人公は台詞ゼロなどの独自性とも相まって、本当に稀有な監督だと思う。

さて、かなり枕が長くなったけど、ここからは今作単体での感想。

まず映画のド頭にカラーで絵本が映ってビックリ。今回もモノクロの映画という認識でいたので、間違って他の映画が上映されてるんじゃないかと疑心暗鬼になった。結局この絵本も本編の一部なのだけれども、これがまた驚きの存在だった。絵本に出てくる「月」は本編の「お祭り」(平たく言えば趣味)のメタファー・・・といった具合に、本編との繋がりを感じられるものだったけど、QAで聞いてみたら絵本ありきで今作を創った訳ではないということで驚いた。ただ、絵本自体はかなり古いもの(主演の今村さんのお父さんが描いたもの)らしく、監督が過去に読んだ時の記憶が頭の中に残っていて、無意識のうちに作品に反映された可能性はあるのかなと思った。

映画の内容は無口な工場勤務の男(ビートルズ好き)が、よく喋る同僚の男と共にポール・マッカートニーの来日コンサートへ行く・・・という話。渡辺監督の過去作『七日』→『プールサイドマン』に比べると、荒々しさは影を潜めていて「ずいぶんと丸く収めたなぁ」と思ってしまうけど、冷静に考えると「日常繰り返し描写」や「主人公は無口」という要素は残されており、今作もかなり変わった映画に違いない。(むしろ、今作でハードルが低いのだから、『七日』と『プールサイドマン』はどれだけハードだったのかと。)

主人公の特徴は過去2作と異なり、部屋のレイアウトや日用品、ペットの存在などから生活の匂いが漂うこと。ただし、食事の内容に変化が無いことや、リビングの壁の「ある物」の存在が、主人公の歪みを暗に物語る。後にその元凶はダイレクトに提示され、観客は主人公が歪みを抱えることを確信する。この辺りの語り口は、映像表現特有の方法がスマートに使われていて、渡辺監督が正統派の演出も手堅く熟せる力量を備えることが伝わってきた。

車内での「笑わない今村樂VS全力で笑わせにくる渡辺紘文」は今作でも健在。相変わらず面白い独演会だった。特に前作に引き続いての「ワンピース」ネタは映画館内の受けが良く、渡辺監督を追いかけるファンの多さを感じた。

QAでも少し触れられていたけど、監督が今回エンターテイメントとしての面白さを意識していることは、本編からもヒシヒシと感じた。時系列を崩して車中のシーンを挿入しているところに、観客を飽きさせまいとする姿勢を感じた。そしてその計算は見事に嵌まったと思う。

個人的には「東京国際映画祭」で今作を観られたことは凄く良かった。主人公にとっての「ビートルズ」は自分にとっての「映画」であり、数年に一度の「来日ライブ」は、まさに年に一度の「東京国際映画祭」に近い位置付け。映画を通じて、映画祭への参加を肯定されてるようだった。

独自のスタイルを確立しながら、エンターテイメントとしての面白さも備える今作は、日本映画スプラッシュ部門の作品賞候補かなー・・・と思ったけど、残念ながら受賞はなし!でも、自分は好きな映画です。渡辺紘文監督の今後に、大いに期待しています。


未来の日本の映画界を引っ張っていくと勝手に思っている大田原愚豚舎・渡辺紘文監督最新作。

前作プールサイド・マンの衝撃ったらなかったが、この映画の驚きもすごい!

いきなり絵本が朗読され出したで!

なんやったんや!

と思ったらあれ?観たことあるで!

おんなじやん!

喋らんやん!

繰り返しやん!

監督めっちゃ喋るやん!

と思ってたら、してやられました。

前作とおんなじような設定で、全く別ベクトルの展開へと進んでいく。もちろん内包するメッセージ性も正反対。

まさに『陰』と『陽』。

日常に潜む狂気と日常に転がってる幸せ。

セットで見るとより面白いと思う。

主演の今村さんの表情がすごくいい。

だんだんと心を開いていくような。

とにかく内に内にこもって行った前作と比較するととても面白い。

そして安定の渡辺監督演じるクソおしゃべり野郎。前作からさらに磨きがかかっている。落語とかで勉強しているそうです。

前作と打って変わってとにかく笑えて、温かい気持ちになれる作品になってます。ぜひいろんなところで公開してほしい。


 

渡辺兄弟の新作は、またしても期待を裏切らない快作だ。

明日、もう一度上映があるので是非観て欲しい。

自ら監督もする「地球はお祭り騒ぎ」の天才男優の渡辺絋文、そして「勝手にふるえてろ」の松岡茉優は、どちらも今回特集されている4人の女優の演技力を凌ぐ能力の持ち主である。

 

 

前作、プールサイドマンとはまた違った方向から世の中を風刺している。

愛と平和の映画。

ポールマッカートニーのライブへ行くという題材なだけあって、最後は愛に包まれる。胸がいっぱいになる。

美しい世界ってきっとこういうこと。

 

 

いい映画。、

涙が流れて、なんで?ってなった。

 

 

TIFF『地球はお祭り騒ぎ』

すごく、好きだった。

冒頭から肌が喜び溶けそうになった。いっぱい笑って、涙した。

 

 

泥船でびっくりして、七日で心地よく感じ、プールサイドでなんかすごい才能が進化していくその過程に立ち会ってるんじゃないかと感激。

そして今年は気負うことなく楽しく笑えました。

東京国際映画祭で渡辺監督の作品見ないと落ち着かないです(w

 

 

おもしろかったぁぁぁぁぁ😍💫🙌期待値を軽々と飛び越えて来た🚀

ナゼ今年もTIFFでワールドプレミアなのか、セレクションにはちゃんと意味があった‼️

 

 

第30回東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門 地球はお祭り騒ぎ観た。

渡辺兄弟凄い!

観て良かった!

ルーティンなコトを毎日やっていても人生で辛いコトがあっても何か楽しみがあるっていいコトだよ。

ホント来て良かった!

ところで、チケット取れなくても願いは叶うw

お婆ちゃん>ビートルズ>東京ドーム>武道館>Zepp。

Zeppの件は(笑)

Yoko Onoの件は必聴!!

 

 

東京国際映画祭 にて『地球はお祭り騒ぎ』観る

待望の渡辺紘文監督最新作

傑作である

心を子供時代に置いてきたかのような男が主人公

画作りと演技は『プールサイドマン』と同じく無機質であり、犬と子供が自生性を備えたものとして登場する

犬と子供が出る度に画面に動きが生まれている

前作『プールサイドマン』と大きく異なるのは温度差である

無機質そのものでしかなかった主人公に感情や意思が生まれ、血が通った人間として描かれる

同僚とコミュニケーションを取ろうとし、食事は手作りのうどん、バックグラウンドも明らかになる

『地球はお祭り騒ぎ』

周囲と距離を置いていた主人公が、ポール・マッカートニーのため同僚の元へ疾走する

この瞬間主人公は騒がしいお祭りの中に足を踏み込み、初めて他者と感情を共有する

ラストでお祭りの群衆に紛れても孤立している『プールサイドマン』とは対象的である

 

 

TIFF渡辺兄弟『地球はお祭り騒ぎ』。ソリッドなモノクロ映像の田舎町、ざわめく環境音。ラジオの音声と黙々と送る日常生活に主人公の過去や孤独を見て、同僚の一方的なビートルズ蘊蓄に爆笑しつつその底の優しさが沁み、東京ドームまわりのお祭り騒ぎ、そしてささやかな祝祭に胸が震えた。巧い…。

 

 

東京国際映画祭。急遽休みが取れて今年参加できたのは「地球はお祭り騒ぎ」。

いやー、面白かった。監督やキャストとのQ Aを生で観られたのも含め。何気ない日常の尊さとおかしさ、哀しみを突きつけられました。

 

 

「地球はお祭り騒ぎ」

私は渡辺監督の作品はこれが初めてで、ビートルズが題材という理由だけで観に行った人間なのですが、冒頭からすごく面白くてたくさん笑ったなぁ...

監督が登場した時はめちゃめちゃびっくりしました...!笑

2人のの対象的なファンの描写がほんとに面白くて。(笑)そしてどこまでがリアルなのか最後まで掴めない感じに興味を持ってかれた。冒頭での絵本の、月の工場やジェリービーンズの畑だったり、主人公の部屋の壁の絵や、ビートルズ好きにとっては!!となるものが散りばめられていたのにもニコッと。

そして主人公が読んでいた本は「月のこどもたち」だったんだなぁと先程調べて気づきました(多分..)素敵な出会いをありがとうございました;;

そしてプールサイドマンとても観たくなった...!!!

 

 

「地球はお祭り騒ぎ」めっちゃおもしろかったですめっちゃ観てよかった

渡辺紘文という監督を知れたこと、そして今村幸治郎という画家に出会えたこと。プライスレスすぎ。そして質問しなかったことを激しく猛烈に後悔勇気出して手挙げるべきだったまじで.....!!!!!

 

 

『地球はお祭り騒ぎ』寡黙で人との関わりが苦手な本田(今村 樂)が、ある瞬間平山(渡辺紘文)の方向に全力疾走します。

ここで会場内爆笑が起こり、ドラマに大きなうねりが出ました。今作もこれまでの大田原愚豚舎作品と同様「人間の孤独」は淡々と繰り返される日常の描写から強く感じますが、『地球はお祭り騒ぎ』では「騒ぎ」がきっかけになり人間の関係性が双方向になりました。平山が一人で喋りまくっていようと空間にそこはかと共鳴があるというか、それは『プールサイドマン』では感じられなかった空気感です。平山みさおさんの100歳の誕生日祝いも胸がいっぱいになりました。

 

 

TIFF2017② 日本映画スプラッシュ部門 『地球はお祭り騒ぎ』

昨年同部門作品賞『プールサイドマン』 渡辺紘文監督の新作。

モノクロ映像。

カリウスマキのような、不思議な作風。俳優としても力強い渡辺監督の存在感。弟・雄二氏の無機質な音楽。

「大田原愚豚舎」に今後も注目します。

 

🎥日本映画スプラッシュ🎥

『地球はお祭り騒ぎ』

監督▶︎渡辺紘文

出演▷今村樂 リンゴ 渡辺紘文

【あらすじ・感想】

ポール・マッカートニーの来日公演へ向かうビートルズマニアの静かな生活と奇妙な旅路。

とにかく、びっくり!!

「大田原愚豚舎」作品、初の方はもちろんのこと、過去作観たことある人は違う意味でもっとびっくりするんじゃないでしょうか…😉

クスクスした笑いを求める人は絶対楽しいです。悩まず行ってください!

なんか新しい映画みたいなーって人にも確実おススメです!

"ものスゴイ"生活音と頭から離れない画は変わらず「大田原愚豚舎」作品🎬

あと、何も喋らない主人公、ホンダさん。(一回しゃべったかな!?)好きになります。

監督曰く、『地球はお祭り騒ぎ』というタイトルですが主人公や描き出す日常は"騒ぎ"の外にいるもの、とのこと。

"騒ぎ"の外のホンダさんの日常をぜひ、覗き見てみてください(^^)

 

 

渡辺紘文監督「地球はお祭り騒ぎ」。

噂の大田原愚豚舎を初体験。

ポール来日公演へ向かうビートルマニアの静かな生活。

コレは病みつきになるくらいハマりました!劇場でまた絶対に観たいな。

 

 

「地球はお祭り騒ぎ」渡辺紘文監督と。予想以上に楽しかった!絶対にまた観たい!

 

 

東京国際映画祭

渡辺紘文・出演監督「 地球はお祭り騒ぎ」 舞台挨拶 撮影監督バン・ウヒョン 主演・今村樂、音楽監督・渡辺雄司と その音楽教室の生徒さん(敬称略) 名人の古典落語の様にじわじわ来る面白さ。 

やみつきになりそうです!

 

 

遅ればせながら今年の東京国際映画祭に行ってきた。

1本目は日本映画スプラッシュ部門の『地球はお祭り騒ぎ』。

渡辺監督の前作『プールサイドマン』の雰囲気を残しつつも「上京」という動きが生まれ、栃木発のロードムービー仕立てになっている。モノクロであっても今作はじんわり切なく温かい。

『プールサイドマン』でも渡辺監督と主演の今村樂さんの車内トークは出色の出来だったが、それを行き場のない密室として使うのではなく、動かせば面白さそのままにロードムービーになるのではないか、という発見を監督はしたのだろうと思う。

新たな水脈を掘り起こしたようだ。

 

 

ポールの来日公演へ向かう道中を撮ったロードムービー。

それなりに生活は続くけど、その生活が揺らぎかねない出来事って実は毎日起こってるんよねって話だと勝手に理解した。

監督兼出演の渡辺さんのマシンがトークが最高。Zepp Tokyoの悪口とオノ・ヨーコのくだり笑った笑った

見終わったあと、タイトルに納得する。

渡辺紘文監督率いる大田原愚豚舎の映画お初だったから、次は今日のQ&Aでも何回も話が出てきたプールサイドマンみるぞ

 

 

東京国際映画祭

渡辺紘文監督『地球はお祭り騒ぎ』

『プールサイドマン』と対になるような、ハレとケ、日常の反復と非日常の映画だった。

前作同様、渡辺監督の喋りシーンはどれもマジで面白いし蘊蓄増えるからみんな観てほしい。

監督と主演の今村樂さんと写真撮って頂けた〜!うれしす!

 

 

東京国際映画祭にて、渡辺紘文監督『地球はお祭り騒ぎ』。大好きな作品でした。

久々に映画館で爆笑してしまった。そんな僕も偶然にもポールのソロとディランのZepp行っているという…。

 

 

渡辺紘文監督『地球はお祭り騒ぎ』@東京国際映画祭

四作品目となる本作品において、渡辺監督の方向性がはっきりと映し出されたと感じる。

 

 

第30回 東京国際映画祭 来ました!今年は色鮮やかなポスターが並び、広場ではハロウィンではしゃぐ子供たちもたくさんで、お祭り感満載な六本木ヒルズでした今日観た作品は 渡辺紘文監督 #地球はお祭り騒ぎ 。こだわりとユーモア、芸術が詰まったエンターテインメント!

 

 

大田原愚豚舎製作「地球はお祭り騒ぎ」。

静かに佇む本田さんと喋り倒す渡辺紘文の対比。

可愛すぎる本田さんちの愛犬リンゴはあの子のことを思い出しながら今日もスヤスヤ眠る。

まるで「麦秋」のような誕生日会。

そして単調な日々は続く。それでも側から見れば地球は今日もお祭り騒ぎ。最高!

 

 

渡辺紘文監督作品『地球はお祭り騒ぎ』@東京国際映画祭 前作『プールサイドマン』と対比するところがあって面白かった。

土地の匂いや風の音が生み出す沈黙がとても印象的。酒が美味くて飲み過ぎた。二日酔い上等!!

 

 

昨日また、東京国際映画祭に行った。『地球はお祭り騒ぎ』を観に。 

冒頭で今村幸治郎さんのとても素敵な絵本が映し出され、幸せな気持ちで観てると、出た!また恐ろしく喋り倒す同僚と無口な男!デジャヴ???再び一発おみまいしたくなったけど、今回はなんか可笑しくてニヤついてしまった。

でも、今回の無口な男は、人間らしく普通に静かに暮らしていて、なんだか安心して見ていられた。ワンちゃんも飼っていたし。音楽も全編を通して優しくて、すごく安心して、穏やかな気持ちで観ることができた。

すっかり大好きな作品になってしまい、31日にもう一度観てきます!

 

 

地球はお祭り騒ぎ

素晴らしい映画に出会った

 

 

渡辺監督「地球はお祭り騒ぎ」家族について考えた。あたたかくなる。しあわせだとおもう。

 

 

東京国際映画祭『地球はお祭り騒ぎ』を観た。地元が舞台と同じ栃木県なので、『七日』も『プールサイドマン』もそうだったけど、あの時間感覚が土地由来でもある気がして、やっぱり凄く引き込まれる。題名と内容とポスターの感じがまたよくて、面白かった。

 

 

とてもおもしろかった。

この映画が終わってほしくないなあと思った。

前作も観たいなあ。

 

 

渡辺紘文監督『地球はお祭り騒ぎ』鑑賞。いやー面白かった!

本田の唯一の意思表示の行動と平山の返事無用の怒濤の質問攻めは笑っちゃう。

前作『プールサイドマン』とは違い今作の今村樂さんには体温を感じた。

今日は今村さんの肉声を聞けて嬉しかった!カッコイイし!

 

 

『地球はお祭り騒ぎ』 前作プールサイドマンとほとんど同じ設定で、ここまで違う方向の作品になるとは。恐るべき大田原愚豚舎。監督のおしゃべりもキレキレでめちゃめちゃ笑わされた。監督の「観た人が考えを巡らせられない映画はダメ」って考えも素敵。次回作が待ち遠しいです。

 

 

東京国際映画祭 「地球はお祭り騒ぎ」渡辺紘文監督

写り込んでいる映像にたくさん情報があってとても想像が膨らみました。描きすぎギリギリの部分もあったりスリリングでしたが映画の世界の外側にも広がりを感じました。

 

 

TIFF16本目 日本映画スプラッシュ「地球はお祭り騒ぎ」鑑賞、TOHO六本木。渡辺紘文監督作。第29回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞した「プールサイドマン」の渡辺紘文・雄司兄弟の新作。主演も「プールサイドマン」に続き今村樂。

TIFF「地球はお祭り騒ぎ」、監督の前作である「プールサイドマン」と重なる部分もあり、また真逆の部分もあり、「プールサイドマン」と比較することでさらに面白く観れる部分も多い。渡辺紘文監督自身が演じる人物が車の助手席で話しまくるアレが本作にもあり最高。

TIFF「地球はお祭り騒ぎ」、渡辺紘文監督は繰り返しで、生活のサイクルを見せるのが本当にうまい。

 

 

『地球はお祭り騒ぎ』、渡辺紘文監督の前作『プールサイドマン』とほぼ同じ演出技法を用いて、起伏の少ない日常とささやかだけど特別なハレの日とのコントラストを際立たせ、そのことにより人の営みの中にあるかけがえのない温もりを衒いなく描写している。気取ってないけど品のあるやさしい喜劇。

 

 

『地球はお祭り騒ぎ』、愛犬リンゴの夢で本田さん過去が描かれるシーンが大好きすぎる。「あっ」って、思わず声が出てしまった。

 

 

大田原愚豚舎『地球はお祭り騒ぎ』、11月の晩飯はアルミ容器の鍋焼きうどんばっかりになりそうだ。朝はゴールドブレンドとクロワッサンばっかりになります。

 

 

大田原愚豚舎『地球はお祭り騒ぎ』、たくさん可笑しくてたくさん愛おしくて笑いもしたけど涙たくさんこぼれちゃいました。本田さん(今村樂さん演じる)の壁当て野球のシーンとか、なんの説明もなくても人のあるいは自分の人生を思っちゃう、そんな触媒?のような、豊かな映像に引き込まれまくりでした

 

 

『地球はお祭り騒ぎ』→楽ちゃんが笑った(^^)

 

 

昨日も映画祭。一番楽しみだったデプレシャン「イスマエルの亡霊たち」と、観る予定の無かった渡辺紘文監督「地球はお祭り騒ぎ」どちらも本当に素晴らしかった!ソダーバーグ「ローガン・ラッキー」はチャニング・テイタムの田舎の兄ちゃん感とダニエル・クレイグのベストアクトだけで一見の価値あり

 

 

『地球はお祭り騒ぎ』また観たい病に罹患中。かなり重症。観ることでしか治癒しない。是が非でも劇場公開して欲しーい。

余韻で頭ん中がお祭り騒ぎ中。

キュッと切ない苦しさ、和み、笑いをまた体感したい!

 

 

クールな本田さんにおねだりするRINGOの手。否、前足か。

何人も身悶えする可愛さ!!!

『地球はお祭り騒ぎ』劇場公開切望!!!

 

 

鍼治療を終え、近所の落ち葉豊かな公園で、バスケ少年を眺めながら、帰ってまたゴールドブレンドを飲もうと考えております。あとおやつに赤いきつねを。その辺は『地球はお祭り騒ぎ』さまにかけられた魔法。

 

 

映画「地球はお祭り騒ぎ」

やっと見れました…!いやあ、揺さぶられました。つくり手と観客との間で、こっち、えっそっちと、綱引きしてるような。いままで、見たことのない、感じたことのない、映像表現。独特で新鮮。

お祭りの中と外、自分がどこから眺めるのか問われてる気がしました。

 

 

#地球はお祭り騒ぎ

去年上映された『プールサイドマン』と光と闇のように対をなす映画だった。孤独な主人公の反復される日常も本作の方が明るく描かれている。渡辺監督のモノローグも相変わらず面白い。これからも独特の映画作りを続けてほしいね

 

 

「東京国際映画祭」初鑑賞作品はコレ。

Q&Aでは、手を挙げる勇気なく。他の方の質問で、自分の中の疑問がいくつか成仏。モノクロばかり撮る理由などなど。主演の今村樂さんが話し出すと笑いが生まれたのは納得。しかし、人にオススメする時、どうやって説明するか困るなと(笑)

 

 

東京国際映画祭2本目、地球はお祭り騒ぎ。ポールマッカートニーの東京公演に向かうビートルマニアのお話、と思って観たけど、お祭り騒ぎはほぼ無かった。監督兼出演の渡辺さんのトークは楽しい。ビートルマニアの作品としては、海外のドキュメンタリーとかの方が楽しい。

 

 

昨日は東京国際映画祭

「地球はお祭り騒ぎ」を見てきました!

実は少し前に「プールサイドマン」も見に行っていたのです。

監督とも久しぶりにお話できて

楽しかったです。

またご一緒出来るように

私も頑張ろうと思います(*´∀`)

 

 

監督曰く「プールサイドマンと表裏一体。」との事。

ルーティンな毎日で世界を内側から見るか?外側から見るか?それだけで見解は全く異なる。

バカなコトしていても毎日世界は動いている。

無視できるコトとできないコトを見極められたら人間なんて楽なんだろう!と思った。

 

 

4本目『地球はお祭り騒ぎ』。出ました!渡辺監督第4作。まさか今年も観れるとは。今回はかなりエンタメ方向に舵を切った感じで観やすい映画であると同時に作家性も保っていて、作品の幅が広がってる。冒頭の絵本のカラー(!)にも驚いたけど、その後の車中が本当にずるい。

まんま『プールサイドマン』じゃん!あんなんずるいわw あいかわらず渡辺監督演ずるチャラいおっさんの話が面白く、そして今村樂さんは一言も喋らない笑 監督自身がQ&Aで仰っていたように、今回の話は明るい『プールサイドマン』。

なので、今村さんがちゃんと美味そうなものを食べ、いい感じのベッドで眠り、犬と散歩するというほとんど変わらない日常が繰り返し描かれる。そしてその合間に、ポール・マッカトニーの公演へと向かう平山との車中の会話(になってないよ!)

まあとにかく、これまでの作品を観ていると面白さ倍増というファンサービスみたいな映画でしたね。個人的ベストシーンは平山からチケット譲渡の申し出があったあと、ちょっとして全力で走り出す今村さん。

 

 

TIFFはとりあえず「Of Love & Law」「地球はお祭り騒ぎ」「ひかりの歌」はもう一回観たいな。

 

 

TIFF「地球はお祭り騒ぎ」大田原愚豚舎第四作目。今回も"日常"描写を強く意識した内容。これまでとの違いは日常の中での祭を通して幸福を描いている。前作「プールサイドマン」と表裏とも言える内容。大田原愚豚舎作品としては最も観やすいので、是非観てもらいたい。

TIFF「地球はお祭り騒ぎ」QA。去年賞取ったし今年は選ばなくてもいいかなと思ったけど面白かったので仕方ない(矢田部P)。大田原愚豚舎作品は子供が観れないという声へのアンサームービー?(監督)。日常描写とか短くなってますが、大田原愚豚舎内比であり、まだまだ長い!だがそこがいい。

TIFF「地球はお祭り騒ぎ」大田原愚豚舎作品の観やすさ問題は、多分、監督もその気はないと思うけど、そんなに外に合わせる必要もないし、今回わかりやすくしようしたところも、そんなにわかりやすくなってない。でもその感覚のズレが良い意味で違う視点を提供してくれる。このまま突き進んで欲しい

 

 

TIFF「地球はお祭り騒ぎ」日常の捉え方としては「プールサイドマン」ははっきり負だし、「七日」もあの終わり方は負寄り。今回は正寄り。プールサイドマンと対になるシーンも多く、プールサイドマン観てるかどうかは相当作品の捉え方に影響する。前作観てない人がどう観たかは気になる。

TIFF「地球はお祭り騒ぎ」プールサイドマンと見比べると、同じようなモノを見ても人によって何をその中から掬うかがこんなにも違って、それが最後こんなにもアウトプットの差になるとかもわかるし、やっぱり併映で二作続けて観て欲しいかな。その方が絶対楽しい。

 

 

東京国際映画祭で。

素晴らしい映画。

たくさん笑って、最後は胸がいっぱいに。

なんだか幸せな気分になりました。

この映画をみることができてよかったです。

 

 

第30回東京国際映画祭で観賞。

『プールサイドマン』に続き今回も渡辺節が炸裂!!

げらげら笑った!!

渡辺監督の一人語りだけでも一見の価値アリ。

次回作にも期待。

 

 

この前、新宿武蔵野館でみた『プールサイドマン』がメッチャおもろかったから学校サボって東京国際映画祭に観にいった。

この映画祭で日本映画をみたの初めて。

正直かなり期待してたしメッチャ笑ったけどまさかこの人たちの映画に泣かされるとは…

Q&Aでも質問できてよかった。

渡辺監督とバンさんにサインも貰って満足(笑)

 

 

東京国際映画祭2017。

「プールサイドマン」が異常な迄に素晴らしかった、大田原愚豚舎チームの新作。相変わらずの渡辺ワールドは堪能できた。

期待し過ぎの面もあったが、今回は「闇」の部分は陰を潜め、「明」の部分が多くを占めていたと思う。

単なるロードムービーではないし、ビートルズマニアの作品でもないし、政治色は陰を潜め、独特の雰囲気に引き込まれるが、「プールサイドマン」程のインパクトは感じられなかったのは事実。

作品中語られていた、オノヨーコの映画が気になって仕方がない。。。

 

 

『プールサイドマン』に続き東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門まさかの2連覇があるのではないかと思わせるほどの素晴らしい作品だった。

渡辺兄弟スゴいな。

毎年この部門のセレクションは素晴らしいと思うので来年も期待します。

 

 

新宿武蔵野館で上映された『七日』『プールサイドマン』に続き東京国際映画祭で観賞。

前作の表現をさらに深化させ、何気ない日常描写がここまで面白く豊かな表現になるということに驚く。

生きることの尊さや可笑しさや悲しみを突きつけられ、大いに笑い、涙した。

優しさとユーモアの中に深く鋭い眼差しで人間の存在を考察する唯一無二の傑作である。


Tokyo International Film festival featured its Japanese programs, younger/beginner director oriented Japanese Splash, which was also a competition series, and Japan Now series, featuring recent releases. Japanese films were featured also in the International Competition as well as in special screenings.

 

In the Japanese Splash series the most familiar name was Watanabe Hirobumi, along with his regular staff, music director/producer brother Watanabe Yuji, and Korean DOP Bang Woohyun. Also familiar was main actor Imamura Gaku, who acted the main role in the last year’s Splash-winning film Poolsideman. This year’s film, Party ‘Round the Globe was remarkably happier than Poolsideman, with director commenting in the Q&A, how they consciously wanted to make a film with similar theme and structure, but appealing for a wider audience. “My brother’s piano students could not go to see the previous films, but this they can”, said Watanabe.

 

Like in the earlier films, work is an important part of the film. This time many scenes were shot inside of a local small electronic factory, one of the numerous ones, who actually subcontract for big name electronics industry in Japan. The monotonous days are broken by lunch breaks and the continuous talking y a colleague at work (played by director Watanabe).

 

What is different from Watanabe’s previous films is the time structure. The film is  not continuous, but has tie-in scenes of a car ride to Tokyo y the protagonist and his talkative colleague, to see Paul McCartney play there. The daily monotonosity of the protagonist is broken down by scenes from the Tokyo trip. Also, for the first time there is a flashback/forward scene/dream sequence, which is framed as the dream of the protagonist’s dog.

The title of the film refers to McCartney’s ’round the globe tour, which now comes to Japan. But the real party is at the end of the film: documentary footage of the Watanabe brothers grandmother’s 100-year birthday party.

So nothing much happens, and we don’t get to see Paul McCartney (as did not see the director and the DOP either, as they were shooting outside of the concert venue). But somehow the goodnatured humor, respect for everyday characters, gorgeously lensed non-moving camera, and weird Watanabe humor again start slowly biting on the viewer.

 

Watanabe brothers, whose first film festival trip – and their first trip abroad ever – was to  Helsinki Cine Aasia with their first film, have their own cult followers in Finland.


Premiering at this year's Tokyo International Film Festival, Hirobumi Watanabe's forth feature film, Party 'Round the Globe, trots familiar territory whilst also feeling somewhat fresh as it morphs into a celebration of cinema, music, baseball and really just life itself. Does it chart new ground? Not really, but fans of Watanabe's style will most certainly find themselves in for a treat as his gorgeous black and white, witty examination of life continues, this time in a electronics shop.

I absolutely adore Watanabe and his cinematic worlds, and for those who know me, have heard time and time again that Poolsideman, the filmmaker's previous, is easily my favorite film of 2017, and that still stands as we are quickly beginning to draw near the end of this year's cycle. That film took everything I loved about this previous two works and mixed them into something totally original and very impacting. Everything about that film clicked and just worked for me. The social commentary and character study Poolsideman examines crafts and timely and masterful piece of work by a director very early into his career, with his debut And the Mud Ship Sails Away, only having come out in 2013. Perhaps nothing will reach the heights of that film again for me, but going into Party I was excited, and ultimately it doesn't disappoint, though it may perhaps be my least favorite Watanabe outing to date.

 

Gaku gives another wonderful lead performance here as the man who never speaks, but his character here is the opposite end of the psyche spectrum that his Poolsideman was. He is wonderful, provides a playful feeling here, and really has a face that screams cinema. I loved watching every second of his colorful performance, regardless of the monochrome tone that the film visually indulges in. Watanabe returns as seemingly the exact same character from the poolside, but provides just as many laughs as he did last go around. The rattling and ranting in the now familiar car ride scenes provide for some great humor and wonderful dialogue. Even some meta references to the director's previous work can be spotted throughout here, and it is glorious, leaving a smile on my face throughout.

The cinematography also remains a high point in the films of Hirobumi Watanabe's body of works. The beautiful black and white cinematography is interrupted during the opening as we get a wonderful voiceover by a child as we see colorful illustrations from a children's book of sorts being played out before us. It's fresh and sets it apart from his other movies right from the start. I wish there had been more throughout, but what we get is truly something to behold and imaginative in every sense of the word. That said, I feel like Watanabe is starting to perhaps get a little too comfortable in his own world he has built. I don't know quite how to explain it as other directors such as Ozu and Hong Sang-soo have done this repetitious overarching thematic exploration, but I really want to see Watanabe chart new territories. This is something I wanted to address, but wasn't and still aren't quite sure how to explain it just right.

 

All in all Party 'Round the Globe is yet another wonderful film by one of today's most promising directors. Watanabe has become a favorite of mine and I absolutely can't wait to dive into his next outing, but that said, there was just something about this that felt a little tried. There were some absolutely fresh and beautiful ideas and imagery at play here, but it left me wanting a bit more. I will be revisiting this world again sometime in the future, but I would rather just head back to the poolside or maybe out the farm for another adventure first. Still wonderful, and still very much an enjoyable film. If given the opportunity, do see this one; it's a delight!


“[The] narrative (…) exert[s] a strange charming attraction on the spectator [while painting] a purified account of the guiding nature of desire and the importance of taking part in the social field.”

 

Introduction

The Watanabe brothers – owners of the production group Foolisch Piggies Films, already carved a specific name for themselves on the international scene by releasing various refreshing and rather experimental cinematographical narratives mixed with Hirobumi’s subtle humour. Last year’s Poolsideman (2016) won the Japanese Cinema splash award at TIFF and was met with critical acclaim at various film festivals.

Known for their minimalist character studies, their black and white framing of their narrative world, and their often morbid atmospheres, the Watanabe brothers have surprised us time and time again with their peculiar style and narratives. So of course we’re curious on how their latest project party ’round the world has ended up.

 

Review

Party ’round the globe concerns the story of Hikaru Honda (Gaku Imamura), who has a truly uneventful and rather repetitive life as a worker in a small electronics factory, and his coworker, a fellow beatlemaniac Takafumi Hirayama (Hirobumi Watanabe) (Cine-note 1). While Hikaru Honda is a silent, stoic and thus subjectively inaccessible character, Takafumi Hirayama is on the contrary a talkative guy, giving monologues about the concerts he went to – Ringo Star and Bob Dylan, who both performed in the Zepp Tokyo, and other concert-related stuff (narra-note 1). But in truth, his monologues are centered on revealing in which way he, as taking up the image of a fan, differs from the others. And while Takafumi can talk as if he is having a conversation – asking questions to Hikaru – he never awaits the answers of Hikaru, instead filling in Hikaru’s answers, so that he can keep on speaking (Narra-note 2).

Only when Takafumi asks him if he want to buy a spare ticket from him, so they can go to Paul McCartney together, there is an isolated event – his act of running – that should be seen as an expression of desire. And while the subjective act, this subjective decision of running breaks his usual routine, there is no way for the spectator to guess – this adds mystery to his being in the narrative space, what the Beatles and this concert mean to him. There is, in other words, only one instance to feel his desire (narra-note 3). The act of running nevertheless puts him back, albeit in a minimal way, in the social field – by ultimately going to Takafumi’s party (Narra-note 4).

The black and white cinematography of Party ’round the globe is a rather composedly affair, providing insight in the narrative space by a concatenation of often very lengthy shots in general – it is not uncommon for conversations to be shots in a one fixed shot (Cine-note 2). While moving shots, e.g. implying the movement of the car with slightly shaky shots, or slowly following the movement of the car while it traverses the landscape, are present, the general fixity of the framing focuses the attention on the being of the characters, i.e. their speech (or lack thereof) and their comportment, as framed in the narrative space as such (cine-note 3). The simplicity of the cinematography, by way of the slow shot, creates some nice and powerful compositions.

While Yuji Watanabe’s simplistic music infuses a mood of the narrative, ambient noise – as a sort of hearable silence – is also important in the narrative space. While this hearable silence consists of a variety of sounds, e.g. children, school-bell, crickets, birds, sounds of machines, …, etc., the wind often takes the main stage. This attentive approach to sound infuses the entire narrative with a certain atmosphere, underlining, despite the wind, the largely empty and repetitive nature of Hikaru Honda’s life.

Party ’round the globe provides the spectator with a very unusual blend of slice of life and narrative and a road-movie. While almost nothing happens in the narrative – the emptiness and repetitiveness of Hikaru’s life and his lack of desire put on display, party ’round the world‘s narrative rhythm does exert a strange charming attraction on the spectator. Nevertheless this narrative simplicity enables the Watanabe brothers to paint a purified account of the guiding nature of desire and the importance of taking part in the social field.

 

Notes

Cine-note 1: The repetitive nature of Hikaru Honda’s life is underlined by the repetition of certain shots.

Cine-note 2: While the narrative is completely shot in black and white, the opening minutes of Party ’round the globe are in colour – the narrative the boy reads for us, accompanied with the drawings of the picture book.

Cine-note 3: There are exceptions to the cinematography. In some instances, the comportment of characters are framed with a slightly drifting camera or with a simple camera movement. In the second half of the narrative, e.g.  from the arrival of Paul McCartney onward, more moving and more slightly drifting shots are used – becoming thus a more documentary styled cinematography.

Narra-note 1: Through Hikaru’s dog’s dream and his dream, the once happy family of Hikaru Honda with his wife and daughter is revealed – albeit a certain mystery about his past is introduced as well. In this respect, we can say that the social field the family conditioned fell away.

The many children’s drawings hanging in the house already implied that there was at one point a family. The children’s story that was told to the spectator in the beginning, is also not unrelated.

Nara-note 2: While we get to know who Takafumi Hirayama as a fan is, his speech about the image of the kind of fan he identifies with renders his subjectivity somewhat inaccessible as well. Furthermore, by filling in the answers of Hikaru – answer he would not have given anyway, Takafumi keeps the imaginary image of a conversation going on alive.

Narra-note 3: There are other elements that express the fact he is fan of the Beatles. He has two old beetle cars and his dog’s name is Ringo.

Narra-note 4: The narrative is well grounded in contemporary reality through the use of a newsreader (as a sort of instance of music). Stories concerning Bob Dylan and his Nobel prize, the story of Tsukiji fish market, the political debate concerning the anti-conspiracy legislation bill, and the terror attacks in London, … etc., are present.